忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

芸術の道は、厳しい精進の道でもある。

下図、第65回毎日書道展(7/10~8/4)、六本木・国立新美術館、
20室、金色・可比丹(カピタン)作品「のぞみ」、「望」字を右側面より写す、
、、、こうして、三次元として摑みだすことのできる「書」、筆意を、正面からも、側面からも、視覚的造形として摑みだすこどができる「書」が、「古典」、、、古典なき筆意は空虚であり、、、この作、この筆意は「風信帖」より摑み出した象(かたち)、、、
727.JPG
昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社

―こどもの書の芸術性についてー p.193.194、つづき、

、、、おとなたちは、闘い苦しみながら日々を生きている。事物を見ればただちに知識や欲望にとらわれ、概念や道徳の捕虜となり、知識慾や道徳心や自意識やさまざまな煩悩を絶ちえない日常である。彼らがそれを超越して、真に開放され自由なtる彼ら自身にかえろうとすること、換言すれば、純粋な芸術的立場に立とうとすることのためには、並々ならぬ決意と努力が必要である。さまざまな分裂や矛盾や拘束を免れることなしには日常的に生きることの不可能なおとなたちであるから、自由にして純一な芸術の道は、厳しい精進の道でもある。もとより、彼らの芸術活動が知識や道徳と無関係というのではない。しかしそれらは、外から押しつけられたものとして芸術を規定するのではなく、それらを生きる、そして芸術的に表現されてゆく彼自身というものを通して、間接的に關係するのである。いわば芸術的意識は、対象の中に日常的な自己を忘れこみ、かかる忘却の底から本格的な自由な自己を回復しようとする無意識の意識であり、忘我の意識である。、、、と(1956年の井島勉)氏はいう、、、つづく、
      、、、50年前の現在を考えること、50年後の現在を考えること、、、

Copyright (C) 2009-2013 立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください。
 

拍手[10回]

PR