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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、いかにその深みに自己をひきすえるかという内的格闘があった。それらはすべて沈黙している、、、

― 魚 ―
‐ 野柳、ホテル近くの鮮魚店 ‐
・・・p.374‐荘子‐中国古典名言事典 諸橋轍次 ‐ 魚(うお)を得(え)て筌(せん)を忘(わす)る。、、、(雜篇 外物) 兎(うさぎ)をえれば蹄(わな)に用はない。魚をえれば筌(うえ)に用はない。そこでこれらを忘れる。本(もと)をえれば末(すえ)を忘れる。学問が成就(じょうじゅ)すれば書籍の必要はなくなる。 「筌」は竹を編んで作った漁具。 <参考>、、、筌(せん)は魚(うお)に在(あ)る所以(ゆえん)、........。蹄(てい)は兎(うさぎ)に在る所以、兎を得て蹄を忘る。・・・とある

p.45、Ⅱ 短歌作品とその変遷 鹿鳴集の世界 南京新唱
、、、 あの最初の奈良の一遊以後、多くの「みほとけ」の歌を詠んだにちがいない。多くを捨て去り、自己の微力を嘆じたことであろう。この十年以上の沈黙は、その感動の強さとともに表現の充実に至る苦闘をものがたるものである。道人が近代に目覚めた自我の持主、しかも濃厚な自意識であればあるほど、いかにその深みに自己をひきすえるかという内的格闘があった。それらはすべて沈黙している。
、、、
 ‐ 「會津八一とその芸術」‐ 昭和52年6月 30日 3版発行・著者 植田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 早稲田大学出版部 

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