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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、その墨蹟は高い評価をうけているが、明治時代には、良寛に傾倒したのは、ごくわずかな人々にすぎなかった、、、

―魚― 
(13)魚紋圖案
p.211、・圖版203‐山東漢代畫像石 
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.267‐良寛禅師と秋艸道人‐、、、道人は正岡子規に面会したとき、良寛のことをたずね、のちに、良寛の歌集を子規に送っているといった因縁があったことはすでにふれた。良寛の行蔵についてはまだ明らかでない点があるけれど彼の残した歌と詩と書は不思議な魅力をもっている。今日においてこそ良寛は、江戸末期のすぐれた歌人であり、その墨蹟は高い評価をうけているが、明治時代には、良寛に傾倒したのは、ごくわずかな人々にすぎなかった。今日、良寛が広く知られるに至ったのは、先駆的研究を行なった人々を除けば、相馬御風と斎藤茂吉である。道人も青年時代から良寛の芸術に私淑し、傾倒していた、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52年6月30日3版発行・著者 植 田重雄・早稲田大学出版部

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