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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、特に巧拙以外にある韻致の有無に於ては、必ず大なる影響のある事は勿論である、、、

今朝の高知城と大手門、
この大手門の大手筋通りに「日曜市」が開かれます、来高時には是非とも、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐書の韻致‐  昨日のつづき
.385、
、、、その作者の製作當時に於ける心の作用がその作品に關係を及ぼすべき事は之を否認することは出來 ぬ。特に巧拙以外にある韻致の有無に於ては、必ず大なる影響のある事は勿論である。人によく見せやうといふ樣な考が少しでも加つたら、之を匠氣といふて、それだけ韻致が減殺されることになる。又人を驚かさうといふ樣な好奇心もよくないことは勿論である。これを作りつゝある間に、書會に入選しやうとか、競書の一等にならうとか、大衆の喝采を博さうとかいふ樣な希望が寸毫でも心の底に動いてゐたら、そのことの善惡に拘はらず、雜念であるから、その事に心を用ふれば用ふる程、筆そのものに集中さるべき韻致は散漫になるので、韻致といふやうな微妙なものは、到底之をその作品の間に加ふる事は出來ない。寧ろ力瘤を入れゝば入れる程、韻致に遠ざかる譯である、、、
(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

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