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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、芸術の世界というものは、当然歴史的なものであらねばならんということに、、、

―魚―
・青銅器銘文檢索p.1563、4002 魚父乙爵一 [魚]父乙
・金文總集(五)p.2278、4002 魚父乙爵ー  3字  
下図、(拓図版)
・殷周金文集成釋文 第五巻 p.178、8401 魚父乙爵 
  魚父乙 
 字數・・三
 時代・・殷

・「爵」‐大漢和辭典巻七-諸橋轍次-大修館書店-昭和四十九年發行-p.577、〖爵祿不入於心〗シャクロクココロニイラズ 爵祿は一切心中にない。富貴利逹を忘れて貧に居ること。爵祿のために心を動かされない。〔荘子、田子方〕百里奚、爵祿不入於心、故飯牛而牛肥。
 
昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―現代書教育論― (全日本書道教育研究会全国大会における講演)
p.303、昨日のつづき
、、、人間が生きているというその形式は変わりはないのでありますけれども、しかし生きているいのちの中身というものは全然ちがう。簡単にいうならば人間のいのちというものは世界観によってちがうし、人生観によって違うし、また彼の所属している社会や時代というものの傾向によって、いのちの中身というものはみな違うんです。そうであるから人間は歴史的な存在である、とこのように哲学者たちはいうわけであります。その人間のいのちが本来的に歴史的であるということが事実であるとするならば、当然そのようないのちの表現として生まれてくる芸術の世界というものは、当然歴史的なものであらねばならんということになるでしょう。早い話が古代のエジプト彫刻と十九世紀のフランス彫刻とはまるで色も形も違うんです。しかも彼らはお同じ構造で芸術作品をつくりだしました。・・・という (1956年・井島勉氏)、つづく

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