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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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作家が訴えようとするものを目でもってつかめば鑑賞としては満点なんで、

―魚―
下図:青少年叢書 故宮文物寳藏新編-玉器篇 「山川的
寳藏」  
 
青少年叢書故宮文物寳藏新編編輯委員會・中華民國八十三年普及版
図版頁、23、 西周玉器-多彩多姿的動物玉飾、-
西周 玉魚-


昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―書をさしはさんでの東西の交流― (ヨーロッパ旅行の一コマ)
p.276、昨日のつづき
、、、ところが、もし誰かが、この作品は破という字を書いている。そして、作者は、このような形で破という文字を書いてゆくことにおいて自覚してゆく自分自身の人間というものを内容としてこの作品を生み出したのだと説明したら、あなたはなるほどと思うだろうか」と問うたら、彼は「なるほどと思う」と答えた。「それならばそれでよろしい。鑑賞というものは、読めようが読めなかろうが、何かあるものをつかめばよい。作家が訴えようとするものを目でもってつかめば鑑賞としては満点なんで、いみじくもあなたはそれをつかんでいるからそれでいいんだ。しかし鑑賞したものを更に分析的に理解しようということになると、そういうものが出て来る動機に、破という字を書いたということが無視できない。これが女という字であっても笑という字であってもいけない。なぜならば、文字の形がまったく別だということばかりでなしに、それでは『破』にこめられた強く激しい想念が発揮できないからだ。」というと、私のいいたいと思ったことも大分通じてきたらしかった。こんなことで大分苦労したが、結局、書は確かに抽象芸術の範疇には入るけれども、抽象絵画と同じものだともいい切れないということも、いくらか同意してくれた。・・・という(1956年・井島勉氏)、 ・・・何かあるものをつかめばよい・・・

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