忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

鑑賞と制作には、内面的な何かの関係が潜んでいるようである。

第二回立体象書研究会展 ―書の心、心の中のこころ― (9/16~9/28)作品より、
濱口渓水作、墨色、「嘘かまことか」・「真」・顔真卿、爭座位稿

昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社 昨日のつづき、
―鑑賞と制作との関係について― p、219.220
、、、鑑賞が、各人の自発的な生命に訴えられるべきものであってみれば、鑑賞が歴史的に変遷してきたという事実も、不思議ではない。人間は、元来歴史的なる生物だからである。
 同じギリシャ彫刻を、ローマ人が、どのように鑑賞し、中世のキリスト教徒が、どのように鑑賞し、ルネサンスのイタリヤ人が、どのように鑑賞したかということは、文献的に知ることができる。しかし、それと同時に、それぞれに違った鑑賞を遂げた彼らが、それとまったく呼応するように、それぞれの違った制作を遂げたということも、作品に照らして確かめることができる。鑑賞と制作には、内面的な何かの関係が潜んでいるようである。、、、、との(1956年の井島勉)氏、、、

2013年の現在おこなわれている書道展、、、50年前の (井島勉)氏ならこういうだろう、、、自己の生命的自覚を賭ける作品に対して、審査がおこなわれる「書道展」、、、はたして、独創的であり創造的であるこ とを、 我 を忘 れて見入るということを、君はできているのだろうか、、、対象の美が作品であることを、、、「ほんとうに書がわかる」ということ を、、、 もう、組織の拡大とを一緒にして考えるという次元は過ぎてしまった過去だということを、、、

Copyright (C) 2009-2013 立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください

拍手[7回]

PR