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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、芸術が常に創造であり、しかも如何なる美の分野を選ぶのも全く人間の自由、、

ただいま開催中、― 国立新美術館「第66回毎日書道展」(7/9~8/3)―
可比丹(北川修久)の立体象書作品「無」(2階‐46‐)、やや左側面から写す、
作品の台座も今回用に制作、金色(作品)の黒(台)に、銀色の留め金具、
書くという純粋なる筆意の空間を、筆順を追って表現できる「間ま」を、
この機会に、三次元の「書」なるものを是非味わってください、、、

、、、1952年現在、、、
第十八號 墨美 ― 諸芸術の独立と限界について 井島勉 ― 昨日のつづき、
 p.4、、、芸術が常に創造であり、しかも如何なる美の分野を選ぶのも全く人間の自由であることを認識しないで、いたづらに過去の事実から導かれた特定の性格をその芸術の永遠の鉄則として盲信して、これを作家の宿命的な課題として強要するのでなければ、芸術活動の邪道や逸脱を論断することは、決して容易な事柄ではないのである。写実主義を絵画の絶対的な法則と信じてゐた人々の目には、印象派の絵画などはあくまでも邪道として映り、伝統の形式を金科玉条と心得る人々の目には、あらゆる新風はすべて逸脱と斥けられるであろう。けれども、芸術観的に写実主義者が印象主義者を排斥し、伝統主義者が前衞主義者を非難することは自由であるにしても、芸術理論的には、無限の可能性の中の一つの場合をもつて全体と確信すること自体が、却つて排斥せらるべき邪道なのである。 
、、、とある、つづく

......芸術は常に新しい創造であるべきなのだから、、、昭和27年の井島勉氏、......

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