忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、固有の芸術的な美しさを発揮しようとする自由を、何人といへども、、、

ただいま開催中、― 国立新美術館「第66回毎日書道展」(7/9~8/3)―
可比丹(北川修久)の立体象書作品「無」(2階‐46‐)の部分を写す、
書くという純粋なる筆意を空間に、筆順を追って表現できる「間ま」、
作品の台座も今回用に制作、金色(作品)の黒(台)に、銀色の留め金具、


、、、1952年現在、、、
第十八號 墨美 ― 諸芸術の独立と限界について 井島勉 ― 昨日のつづき、
 p.4、、、かくして、書に一定の掟てがあつて、それに忠実たらうとする人が、はからずも書の美を作り出したことになつたのでなく、やがて書芸術と呼ばれるものとして実を結ぶであらう美しさを表現しようとして、おのずから書を書くこととなつたのである。従つて、文字を書くことから出発した書であり、文字を書くことを不可缺の特質とする書であるけれども、これまで文字を書いて来た人が文字を書かなくなつたからといつて、直ちにこれを邪道といふは当らない。書の立場から絵画を邪道と呼んだり、彫刻の立場から文学を邪道と呼んだりすることが無意味なのと同様である。ただ、文字を書くことを書の約束と定めておきながら、この書を書かうとして絵を描き、しかも敢へて書を書いてゐると自負するときに、邪道が始まるのである。人間が時には書を書き、時には絵を描き、しかもそれぞれ固有の芸術的な美しさを発揮しようとする自由を、何人といへども咎めることはできない。
、、、とある、つづく

......芸術は常に新しい創造であるべきなのだから、、、昭和27年の井島勉氏、......

Copyright (C) 2009-2014立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください。

拍手[9回]

PR