下図、”書を語る 3 ”1988年2月25日 第2刷発行・二玄社
書と建築空間――その類似性を考える 磯崎 新(建築家)
つづき、、、いいかえると、身体が全身で知覚する呼吸である。
いわば、空画の部分に筆をおどらせている瞬間の呼吸のように、建築の内部空間は、身体的な呼吸の連鎖として構成しうるのである。建築を体験するとは、その内部を通過して、そこからリズムをもった変化を感知することなのだから、おそらく、書に集約されているあの張りつめた気分とそれをささえる呼吸とは、ほとんど正確なアナロジーたり得るといえる。すなわち、建築は書と同一の構造をもつものとして体験可能といっていいかもしれない。
とはいっても、書のような建築はつくれないだろう。その逆も同様である。そして私がここで指摘した呼吸の質もまったく異なっているに違いない。にもかかわらず、白井晟一氏の書をみていると、どことなく氏の建築作品を彷彿させるところがある。ひとりの人間から生みだされたものだから、似ていて当然なのだが、わたしにはその関連を具体的に記述する言葉がどうしてもみつからない。形式が違っているからだろうが、空画と空間が連想されたように、何かの手がかりとなる言葉がいつかみつかるだろう。そんな期待をもって、私はもういちど書を最初から眺めてみたいなどと考えている。―〈五十二・二〉1977.2.―
以上が、書と建築空間―その類似性を考える (建築家)磯崎 新氏の文でした。
―わたしにはその関連を具体的に記述する言葉がどうしてもみつからない。、、、いつかみつかるだろう―という、その言葉とは!!!三次元で自立する書!!!第1回立体象書研究会展―いま掴み出した本当の臨書―!!!なのであります。
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