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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

、、、あしで絵と称する新しい種類の立場からは正道なのである、、、

立体象書研究会会員「書」作品、第32回 安芸全国書展(6/8~8/17)、
立体象書研究会会員出品者の作品鑑賞、会場作品から(7/13)、
「優秀賞」・甲藤方外さん作品「十返」
 ―と・かえり【十返り】一〇回繰り返すこと。新後撰 賀「松の花-咲ける君が代に」—・のはな【十返の花】(百年に一度、千年に一〇度、花が咲くという伝説から)松の花の雅称。祝賀の意に用いる。新後拾遺 春「松が枝にかかるよりはや-とぞ咲ける春の藤波」―(p.1830‐広辞苑‐岩波書店)より、
*この作......「筆の開き」という意識の「十」字の縦劃、それを「返」字の左旋回で収束、、、他の作品には見られない創意がそこにある..........

、、、1952年現在、、、
第十八號 墨美 ― 諸芸術の独立と限界について 井島勉 ― 昨日のつづき、
 p.4、、、 もとより、書家が絵を描き、画家が彫塑を作るといふことは、実際上は決して容易ではない。しかし、このやうな自由を芸術家から奪うことは許されない。また、範疇を異にする二つの分野を綜合して新しい発展を図ることも、極めて至難である。それぞれの範疇には、それぞれの固有の原理によつてのみ生かされてゐる生命があるからである。本誌所載ののあしで絵の如きものも独特の美しさを発揮してゐることは否めないにしても、しかし正確にはそれは、絵でもなく書でもなく書かれた書といふわけでもなくて、絵と書とを素材とする図案的構成にほかならない。純粋なる絵や書の立場からは邪道といへても、あしで絵と称する新しい種類の立場からは正道なのである。 
、、、とある、つづく

......芸術は常に新しい創造であるべきなのだから、、、昭和27年の井島勉氏、......


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