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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、およそ古典の概念は、優れている上に、その作品から新しいものを創りうる内容を持つている資質あるものでなければならぬとされている、、、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
下図、近代書道開拓者 比田井天来・小琴 佐久教育会編 
昭和四十三年発行、

このところ、昭和7年の-天来翁書話-を続けている、門弟・上田桑鳩の一文が、上の一冊の中にある。-天来先生書の手がかり-、古典的存在、p.147、、、天来先生の書芸術に対する理念と製作とが、発展させていくと、別な新しいものを創りうる内容を持つていたからである。このことは、筋が通つていることであり、体系づいていることであり、指導理念が健全であつたことの証拠でもある。それは書の理念の根幹であり、また地下水の如きものであつて、一般の書であろうと、前衛であろうと総て成育するものは、この根や地下水に通じているのである。ここに問題の中心がある。
 先生が第二期の鎌倉生活の時代に、現在早稲田大学の栗田教授の前で、非文字による点と線との象と自称する造形をしてみせたそうで、これによつて栗田教授は、点と線とでできている書を芸術だと納得したそうである。またそのことをわたくしは先生から直接聞いたことがある。成功まで続けなかつたことは遺憾ではあるが、それはそれとして、かくの如きことまでできた確乎たる根拠を持つ先生の理念と知性のすばらしさに敬服万拝する。
 およそ古典の概念は、優れている上に、その作品から新しいものを創りうる内容を持つている資質あるものでなければならぬとされている。先生の作品はこれに該当し、万世古典たりうるのである、、、とある、
 書道観、p.146、、、最も嫌つたのは、俗書と習気、そして書における三忌たる匠気、覇気、僧気である。三忌のうちの
匠気は書家者流の習気の達者に書き、無内容なものを指し、覇気はごりおしで腕力のみ外面に露出しているものであり、僧気は人間性を無視して悟つたか振りをしているものである。いずれも人間を尊重しないものであるから嫌つたので、このことは、先生は書に人間性を求めたことになる、、、とある、
「、、、
これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、(昭和7年)、、、
2014.10.11、現在、書展鑑賞の参考になればと思う、

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