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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

、、、しばらく考えこんでいた道人は感動をこめて怒鳴った、、、

下図、-p.1 第15洞 西脇洞北壁 交脚菩薩像-
「小川晴暘 雲岡の石窟」-昭和53年発行-発行者 佐藤亮一-新潮社-p.181-、、、それにつけても、古き日に、わが師、秋艸道人の書斎には、その死にいたるまで、小川晴暘の撮影になる雲岡石窟の第五窟前壁の東側菩薩半身像の、かすかに微笑をたたえた表情が壁間にかかっていたのを、今に思い起すのである。、、、- 宮川寅雄 -

p.325.326、 ‐ 日華事変の勃発と中国文化遺蹟の保護 ‐
、、、政府の不拡大方針にもかかわらず、戦火は拡大した。大同の石佛の安否を気づかう安藤更生は、ついに意を決し、「私はこれから北支へ行ってみたいとおもいますが、先生、たれかに紹介状を書いて下さい」、「そうか、おまえ行ってくれるか」。しばらく考えこんでいた道人は感動をこめて怒鳴った。道人は早速、新潟中学の同窓である建川美次中将に紹介状をしたためた。中央政府では、文化財の保護について現地軍の指図もできず、とにかく現地に行く以外に途はなかった。そこで安藤更生は単身北支派遣軍の司令部に赴き、大同石佛の保護を軍に力説し、部隊を派遣して戦火を免れさせるのに成功した
、、、翌十三年に再び中国にわたり、商務印書館の設立努力し、、、
 ‐  「秋艸道人會津八一の生涯」‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 恒文社 

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