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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、人の性質も、修養次第で矯正して行くことが出來るのであるから、備つて居ないまでも備へることが出來又學んで至らないといふことはないやうに思はれる、、、

―魚― 
・青銅器銘文檢索p.1563 6956 魚乙正鐃

・金文總集p.3822 6956 乙正鐃
下図拓図版
・殷周金文集成釋文・第六巻ーp.450   魚乙正鐃 
   魚乙正 
 字數:三 
 時代:殷
、、、中国古代漢字学の第一歩‐著 李 学勤‐訳 小幡敏行‐閲 佐野光一‐古文字学入門‐凱風社‐1990年発行‐p.89、、、鐃(どう)は商代晩期に流行したもので、口は上を向き、下には甬という木の台座に差し込む部分がある。演奏は木で口の中間を撃いた。、、、とある、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

書の韻致
.383、書ばかりでなく、他の藝術にしても、その優劣を定むる場合には、この作品には韻致(いんち)があるとか、又はないとか、よく一般にいふことであるが、韻致は微妙のものであるから、到底之を學ぶことは出來ないものとされてゐる。また、韻致は作者その人に備つてゐるので、人に韻致が出て來るもので、學んで至る事の出來るものではないといふ人が多いけれ共、學んで至る事の出來ないといふ事は無い筈である。人の性質も、修養次第で矯正して行くことが出來るのであるから、備つて居ないまでも備へることが出來又學んで至らないといふことはないやうに思はれる
、、、(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

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