忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

、、、他のつまらんものと比べて一寸いいという程度に過ぎん、、、

―魚― 
(6)畫像磚上的魚紋圖案(拓図) 
p.301、・圖版293‐四川漢代畫像磚  
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.308.309、 ‐目白文化村への転居‐
、、
、志功は、その頃はまだ無名でひどい貧乏をしていた。道人は志功の人柄を愛し、志功はよく東洋美術研究室に訪ねてきた。.....吃音のせいか、ゼスチュアで表わす方が楽であったらしい。観音像を見ると、みずから頬に指をあててみたり、四天王を見ると、「団十郎だ」と叫んで「暫(しばらく)」のような見得を切った。志功の版業や手拭、のれんなどを賞め、門下生や学生にも吹聴して彼の生活の資となるようにつとめたことも幾度となくあった。戦後、志功はスイスの国際版画展で版画の大賞を得て、新潟に来たことがある。「秋艸道人の書と棟方の画と、どっちが新潟の家の床の間に多いかナァ」などと言った。これを耳に道人は、「心を驕らせるもほどほどにしろ。志功の版画がいいといっても、他のつまらんものと比べて一寸いいという程度に過ぎん。會津八一と比べるとは何事かッ、破門するッ」と襟首を摑んだ。志功は必死に振りもごうとし、玄関から放り出された。度の強い眼鏡を飛ばして、ちぎれた片袖と下駄をかかえて、一目散に逃げていった。道人の感情の起伏は劇しい、それだけに純粋に生き抜いたともいえる。
、、 ‐ 「秋艸道人會津八一の生涯」‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄・発行所 恒文社
できないことではあるけれども切ればその断面は丸い、と「書」をみる道人。

拍手[21回]

PR