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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、初唐の時代には、書を善くする者は必ず有爲の士であり、、、

―「魚」字― 
・馬王堆簡帛文字編.―北京:文物出版社,2001,6
 陳松長 編著 鄭曙斌 喩燕姣 協編
 ・・・「長沙漢簡」長沙市東郊の「馬王堆一号漢墓」から1972年出土したもの。、、、墓主は軑 侯夫人で、夫人の遺体が腐乱しない軟体のまま発掘されたことは驚異的な事件として大きな   ニュースとなったが、この墓の造営が天漢二年(前98)以前であることは間違いなく、二千年後 の今日になって前漢の真蹟がまのあたりに、、、なお1973年には610枚の出土を見ている。・  「馬王堆出土竹簡」・「馬王堆出土帛書」1973年12月、、、馬王堆第三号漢墓から出土したも  の。漆塗りの木箱に収められていて、12万余字に及ぶ厖大な帛書で、その内容は大体次の通りで ある。即ち「老子」「周易」「戦国策」「左伝」天文星占に関するもの、医学に関するもの、陰 陽五行に関するもの、導引図、地図、駐軍図、街坊図などで、これらは漢文帝一二年(前168)の 遺物とみられ、実に二千百余年の故物である・・・
 —p.688.907‐中国書道辞典‐中西慶爾‐木耳社―より、
・馬王堆簡帛文字編 十二 魚部 p.466、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」・昭和十三年發行 天來翁書話
 ‐人物本位の賞觀的揮毫物が藝術的書道に及ぼせる影響(上)‐
.308、
、、、初唐の時代には、書を善くする者は必ず有爲の士であり、有爲の士は多くは字を上手に書いた處から、譔文者と書者の名前を碑面に記録することが流行し始めた。同じことなら碑文の揮毫を頼むにも、人物も位置も共に高く、然かも書も亦上手の人であれば頼む方から見れば其れに増した有難いことは無いのである。又碑を立てられる人の爲にも、碑を立つる人にも、其の虛榮心を充す上に於て欲求する所の條件であらねばならぬ。作者も亦金石に記して己の姓名を不朽に垂るゝことを喜ぶやうな俗的傾向を生じ、兩々相須ち其の流行が止め度もなく流れて、今に於ては遂に普通の慣例となつたのである。、、、(大正十二年) 藝術・書を語る天来先生。

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