忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

、、、感情の純粋の極点において、あやしい光烽を放つのである。これをわたしは「極限の美」と呼ぶ、、、

―魚― 
(5)戴冠人面魚身圖案 
p.211、・圖版203‐山東漢代畫像石 
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.38、 ‐ 美の感受性と純粋感情‐昨日のつづき、、、感情の純粋の極点において、あやしい光烽を放つのである。これをわたしは「極限の美」と呼ぶ。この極限のところに、自己を押し上げ、そこに立たせる行為を道人はいつも心がけていた。道人は普通よりも、かならずきびしいところに自己を立たせていた。自己にたいする批評も、創作の態度も、峻烈をきわめている。それはなぜであろうか。一体、道人は美の基準をどこにおいていたのであろうか。まず美の基準を自己の感情の純粋性においていた。「自己の気持ちにぴったりするもの」、「自分が見て我慢の出来るもの」、「自分の気持がありのまゝに現れ居るか居らぬか、自家の趣味をあらはし居るか居らぬか」という自己の主体が美の基準である、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和 52 年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大学出版部

拍手[12回]

PR