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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、拒絶し、貪婪に吸収した一切のものが、その中に馥郁とこめられている、、、

―魚― 
(8)盤龍紋和四魚紋銅洗的内底圖案 ‐河南滎陽縣出土‐
p.166、・圖版158‐漢代青銅器及其紋樣 
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.38、 ‐ 美の感受性と純粋感情‐昨日のつづき、、、詩歌は定義できないし、すべきではない。もっと自由なものである。また、はじめから独創性を意図してかかれば、作為が目立ってしまう。まさに無意識の中におのずからにして生まれてくるのでなければならない。美を感受するには、いかなる場合にあっても、無心にならなければならない。それはなん度もいうごとく、感情の純粋性至ること以外にあり得ない。その極点に至るために、一切の世俗的な常識や世才、文才を拒絶する。修練は練習ではなく、あの無心の境を目ざすその都度傾ける集中の行為である。それゆえ、短歌そのものの言葉や書の筆尖に道人の養い蓄えた学問教養や体験がそのままあらわれるというのではないが、拒絶し、貪婪に吸収した一切のものが、その中に馥郁とこめられている、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52 年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大 学出版部

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