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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、故に何れの藝術にしても、其の藝術を向上させるには、之を賞玩する人の鑑識眼を向上させることが急務である、、、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
下図、16日、18:43、「ほっと平山の夕飯」、

昭和十三年發行 天來翁書話
實用書及び藝術書の奬勵法を異にすべきを論ず
.364、
、、 然し人間は藝の善悪によらず、性質に依るのであるから、頑固の人間は下手でも頑固をいふものである。頑固の人が上手といふ譯ではない。其の専門とする事にかけては一歩も退かないといふのが、藝術家として取るべき道であるから、溫厚の人でも時には頑固といふこともある。然しながら不世出の大家になれば其の藝術に於ける範圍と變化が廣いから、自分の意見を曲げないでも、依頼主の希望を叶へてやることも出來る筈であるから、無理に反對のことをする必要もない譯である。要するに依頼主の眼が高ければ思ふ存分のものを作り、且つ愉快であるから、傑作も出來る筈である。故に何れの藝術にしても、其の藝術を向上させるには、之を賞玩する人の鑑識眼を向上させることが急務である。成るべくは賞玩者が卽ち作家であれば最も理想的である、、、(昭和六年か、) 藝術を語る天来先生、つづく

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