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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、明治以降、芸術は宗教的な問題を無意味なものか、人間の理知の外にあるものとして除外し、、、

下図、2015.12.13、‐上野公園‐東京国立博物館‐
‐1872年(明治5年)に創設された、日本最古の博物館‐とある
・・・(p.11‐書についての漫談‐高村光太郎 書‐1959年7月初版発行 二玄社)‐、、、徳川時代までの坊さんや儒者などには随分いい書をかく人がゐたが、明治になつてからはどうも少い。評判の人はいろいろゐるが、真に感心出来るものは多くない。坊さんの書がぐつとくだらなくなつた。むやみと書きちらしたらしい南天棒などといふのがゐるが、まつたくの俗字だ。学者にもゐない。政治家にもゐない。軍人にもゐない。書家にもゐない。大体、明治といふ時代が、立身出世主義の俗物時代だつたので、その臭みが誰のにもしみついてゐる。、、、・・・という

p.45、Ⅱ 短歌作品とその変遷 鹿鳴集の世界 南京新唱
、、、 明治以降、芸術は宗教的な問題を無意味なものか、人間の理知の外にあるものとして除外し、少数の人々をのぞいて、大勢は人間の世界のことに没頭していったきらいがある。道人はみだりに口にすることを好まなかったけれども、その作品の到達点には、宗教上の窮極的な関心が重要な課題となっていたことをうかがわせる。このことは美の求道者としての道人の芸術に、他の人々の作品よりはるかに豊かな陰影をあたえている。
、、、
 ‐ 「會津八一とその芸術」‐ 昭和52年6月 30日 3版発行・著者 植田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 早稲田大学出版部 

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