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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、特に純美術品になると自己本位で作つたものでなければ傑作品の出來やう筈がない、、、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
下図、15・16・17日の書法研究会にて、
可比丹(カピタン)大字、
「止水」を甲骨文にて書作中、紙面(18尺×24尺)、p.284‐大漢和辞典‐巻七‐諸橋轍次著‐大修館書店‐「澄」❶すむ。水の靜止して淸らかなこと。〔淮南子、説山訓〕鑑於澄水。〔注〕澄、止水也。‐澄水、止水也。‐とある・・・止水「深さ」を創ろう・・・

昭和十三年發行 天來翁書話
實用書及び藝術書の奬勵法を異にすべきを論ず
.363、
、、勢ひ其の藝術に理解のある人のみが之を後援することにな り、自己本位のものが自ら出來るのである。藝術には自己本位といふことが最も必要である。特に純美術品になると自己本位で作つたものでなければ傑作品の出來やう筈がない。故に書道の如く直に其の氣分が如實に表現され之を掩はんとしても掩ふことの出來ない藝術に於ては一層其の必要がある、、、(昭和六年か、) 藝術を語る天来先生、つづく
p.357
、、、 今から考へると楊守敬の來朝により、碑帖の研究が追々盛になり、執筆法及用筆等迄大なる變化を來した、、、又一方に於ては唐様と稱する明人風の書が學者文人の間に行はれ何れもその技倆は淺薄のものであつた、、、現在でも、技量の浅薄な者ほど執筆法用筆等々に固執し変化を考えないし藝 術を考えない、しかし彼等は一様に書を語る、生活して行かなければならないといふ弱點を有つて居るから・・・

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