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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、勢ひ其の藝術に理解のある人のみが之を後援することになり、自己本位のものが自ら出來るのである、、、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
下図、15・16・17日の書法研究会にて、
可比丹(カピタン)大字、
先ず「止」を甲骨文にて書作する、紙面(3尺×6尺を24枚)縦は18尺、「止」字‐p.360‐象形‐趾(あし)あとの形である步ほ(歩)の上半。、、、とある、‐字統‐白川靜‐平凡社、

昭和十三年發行 天來翁書話
實用書及び藝術書の奬勵法を異にすべきを論ず
.362.363、
、、 故に藝術が民衆化するといふことは、純藝術が工藝化するといふことで、大なる墮落であるといはねばならぬ。故に何れの時代を見ても國家の滅亡せんとする時と、新國家の起るときの藝術品には作家の數は少ないけれども却て觀るべきものがあり、太平が長く續き專門家の數が多くなるに從つて、超越したる作家のなくなる傾向のあるのは、國家の滅びんとする時には一方には新國家の起る時であるから、生氣が漲つてゐる爲にも依るけれども、國家多事の際には大衆の歡迎を受けんとしても不可能であり、又其の藝を嫌う者に藝術家などを相手にするものはない筈であるから、勢ひ其の藝術に理解のある人のみが之を後援することになり、自己本位のものが自ら出來るのである、、、(昭和六年か、) 藝術を語る天来先生、つづく
p.357
、、、今から考へると楊守敬の來朝により、碑帖の研究が追々盛になり、執筆法及用筆等迄大なる變化を來した、、、又一方に於ては唐様と稱する明人 風の書が學者文人の間に行はれ何れもその技倆は淺薄のものであつた、、、現在でも、技量の浅薄な者ほど執筆法用筆等々に固執し変化を考えない、藝 術を考えない、しかし彼等は一様に書を語る、生活して行かなければならないといふ弱點を有つて居るから・・・

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