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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、生活の脅威に驅られて工藝品の指導者たるべき純藝術が、文明になればなるほど、工藝品と歩調を一にするやうになるからである、、、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
下図、15日の書法研究会にて、山本さんの大作、奥に筆者本人横たわる、

昭和十三年發行 天來翁書話
實用書及び藝術書の奬勵法を異にすべきを論ず
.362、
、、純藝術たる繪畫彫刻に於ても、藝術書の高尚なるものと同樣に時代と共に其の品位が遞下する傾向のあるのは、後世になつて其の奬勵機關が出來れば出來るほど、工藝は發逹するけれども、純藝術が却て退歩するのは、純藝術と工藝との距離が近寄つて來るからである。而もそれが工藝品の方が純藝術に近寄つて來るのでなくて、純藝術が工藝に近寄つて來るからである。何故かといへば、純藝術家も工藝家も人間である以上は、生活して行かなければならないといふ弱點を有つて居るから、生活の脅威に驅られて工藝品の指導者たるべき純藝術が、文明になればなるほど、工藝品と歩調を一にするやうになるからである、(昭和六年)、藝術を語る天来先生、、、つづく
p.357に、今から考へると楊守敬の來朝により、碑帖の研究が追々盛になり、執筆法及用筆等迄大なる變化を來した、、、又一方に於ては唐様と稱する明人 風の書が學者文人の間に行はれ何れもその技倆は淺薄のものであつた、とある、、、現在でも、技量の浅薄な者ほど執筆法用筆等々に固執し変化を考えない、藝術を考えない、しかし彼等は一様 に書を語る、
生活して行かなければならないといふ弱點を有つて居るから・・・

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