忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

、、、自分は、ありのままに此の道を行く。これがもとから、そして今でも、私の腹である、、、

― 魚 ―
‐ 野柳、ホテル近くの鮮魚店 ‐
・・・p.351.352‐荘子‐中国古典名言事典 諸橋轍次 ‐ 魚は江湖(こうこ)に相忘(あいわす)る。‐ 大きな川、大きな湖にすむ魚たちは互いに江湖に水のあることを忘れている。人間も広い世界に生活を求めるべきだ。‐ 魚は陸にあげられると、水がない苦しさに、仲間の魚の口から出す泡(あわ)を吸って呼吸する。しかし、かれらを揚子江や五湖に放せば、もう水ということを忘れてしまう。同様に、大同の世界に立てば、世上の仁義善悪を忘れ、ほんとうの生活ができる。‐ これが老荘の思想である。・・・とある

p.44.45、Ⅱ 短歌作品とその変遷 鹿鳴集の世界 南京新唱
、、、おそらく、天平白鳳貞観の密教の仏像には、われわれが考えるよりも、はるかに多くの美の層位がこめられているにちがいない。これらの「みほとけ」たちが示すそのさまざまの美を一躰ずつ純粋な感情の中で味得し、その仏像にふさわしく道人は詠んでいった。 「歌はおのづから歌で、信心とは別な一つの道であつてみれば、自分は、ありのままに此の道を行く。これがもとから、そして今でも、私の腹である」(渾斎随筆歌材の仏像)
、、、
 ‐ 「會津八一とその芸術」‐ 昭和52年6月 30日 3版発行・著者 植田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 早稲田大学出版部 

拍手[14回]

PR