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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

半世紀前の「書について」の「二冊」

下図、この日記に掲載している、昭和三十一年「書の美学と書教育」と、昭和三十二年「毎日ライブラリー 書道・西川寧編」の二冊、
昨日は、下図(書道・付録)、松井如流先生の、、、若い人に一言、、、でした、、、
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 昭和三十二年「毎日ライブラリー書道・西川寧編」、昨日と同じ(書道・付録)、
藤田経世(フジタツネヨ・1903~1984)氏、半世紀前の、「書」について、、、
―手本の問題― 
 書の展覧会にいって、いつもふしぎにおもうのは、むかしのひとの筆跡を、そっくりそのままにうつした模写が、堂々とならべられていることである。また、模写ではなくとも、ああこれはなにを手本にしたな、すぐさま見わけのつくような、模写まがいのたぐいが、いくらもみいだされる。ことにかな書きでは、それがいちじるしい。
 このような模写ないし模写まがいの作品が、展覧会場にならべられることは、たとえば絵画のばあいには、まるきりみうけられない現象であるといえる。絵画といわず、ほかの美術の部門でも、例をもとめるのはむずかしい。書のばあい、手本というものが、どんなに大きなちからをもっているかを、つくづくとおもいしらされる。
 わたくしは、模写ということが、ある作品のよさを見きわめるうえに、やくだつことまでも、否定するのではない。また、たねほんがすぐわかるような過程をたどるのを、すべてゆるせない邪道と、かんがえているのでもない。しかしながら、書のばあいには、どうもそのようなことがらが、最終の目標であるかのように、うけとられているのではないかと、うたがうきもちが、おこってくる。すくなくとも、それだけで満足しているひとたちがあり、しかもそういうひとたちが、ひとかどの専門家として、あつかわれているのではないのか。
 ともかく、そんなうたがいをおこさせるほど、書においては、手本というものが、おもくみられている実情を、あらためて注目したい。同時に、書というものは、それほど手本をたよりにしなければ、なりたたないものか、そこのところをはっきりさせるのでなければ、どうともならないゆきづまりへ、おちこんでしまう危険が、さしせまっているように、かんがえられる。あえて、手本なるものについて、二、三の問題をとりあげてみたい。、、、という、、(筆者・美術評論家)藤田経世氏の1957年、、、つづく、

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