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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

天来翁書話(昭和十三年發行)→近代書道開拓者

下図、左―天来翁書話(昭和十三年發行)、右―近代書道開拓者 比田井天来・小琴(昭和四十三年九月三十日発行・発行者 長野県佐久教育会天来研究委員会)の2冊。
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この日記、馬車から新幹線へと、(幕末・菘翁→朙治→大正・鳴鶴→昭和・天来、昭和の初期)までの「書」を記してきました。
(昭和七年・天来翁書話)の文をすこし、、、

(二)書の特長
 賞鑑的に價値ある作品は、いつの時代でもその技倆に增減のある筈はないけれども、時代によって多少の變化があるものである。楷書を書くからと云っても、楷書だけの筆意では變化がないから、草書の中にあるやうな面白みを筆書の中にとり入れて、楷書に一種の新し味を加へる必要があります。なぜそういふ必要があるかと云ふと見る人がはつと思ふ、このはつと思ふ所が新意であります。藝術はすべて見た時に陳腐では人に感興を起させることは出來ません。人がはつとする感じを起す樣な新しい味が必要であります。所がその新らしい味といふことが大にむづかしい事でありまして、大家の字を擇山見る中に何を見ても陳腐で眞似をしても面白くない。そんな字を書くなら書かぬ方がよいやうに、どの字を見ても面白くない。どうにも仕樣がなくなって新らしいものに行くのであります。さうなるとその新らしい味には少しも無理がないのであります。一家法を爲さんが爲に、何か新らしいものを作りたいものだ、先生の字許り眞似をして居ては人に奴書だといはれるから、それを恐れるの餘り何か新らしい字を書いてやろうといふやうな淺薄な考で書いたものは、書道に深い人から見ればその人の腹が見え透いてしまふから、見る人が直に嫌になつて了ふのであります。
 此字はあの字の眞似をしたものだ、これは誰の眞似をしたものだ、とみえて來ると益々嫌になるものであります。藝術味の豐富にある書は、どことなく見て居る者に、おひかぶさつて來て人を魅する樣な津々たる味が、觀者を威壓し、又は引きつける樣な、一種の偉大さを感ずるものであります。、、、必要に迫られて變化して書いたものだといふ事が分る樣でないといけません。書は妙なもので、よく書を學んだ人が見ると、書いた人の心の底まで觀ゆるやうな氣が致します。、、、藝術は、、、眞劍味、、、
―つづく、、、

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