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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

文字を媒質とする視覚性(造形性といってもよい)の実現に

下図、第65回毎日書道展(7/10~8/4)、六本木、国立新美術館
20室の、金色の可比丹(カピタン)作品「のぞみ」・「望」字を写す、
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昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社

―こどもの書の芸術性について― p.192.193、昨日のつづき
、、、おとなの書とこどもの書が芸術的に別だということをあげつらうより前に、現に行われているおとなの書というものが果たしてどの程度に芸術的であるかを吟味してかからねばならぬ場合が多いようにように思う。
 一般的にいって、こどもの書とおとなの書は、芸術的に同じだともいえ、別だともいえるのである。あたかもおとなとこどもが、人間的に同じだともいえ、別だともいえるのに似ている。それは一体なぜであろうか。
 人びとは芸術を語るときに、これを作用の側、すなわちつくろうとするはたらきの側から見るよりも、むしろ対象の側、すなわちつくりだされたものの側からながめようとする。この見方からすれば、おとなの書とこどもの書が別であることは明白である。というのは、しばしば論じたように、書という芸術は、文字を媒質とする視覚性(造形性といってもよい)の実現による自己表現にほかならぬから、つくり出されたものというのは、その内容の上からいえば、そこに造形的に表現されてゆく彼自身と同じものなのである。だから、、、と(1956年の井島勉)氏はいう、、、つづく、


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