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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

第五回立体象書研究会講習会報告

6月1・2日、両日の講習会報告、
法帖から書を摑み出す前の段階です!!!古典といわれる書線の表現、「筆意」をどのように考えればいいのかということを、実際に毛筆を使用して筆者の表現に迫ります!!!立体象書研究会では、先ず「筆意」を考えるということからが出発点です。表現された書の墨線を、どのようにして表現されたのかをですね、線表現(毛筆)で確認してみよう!!!という一枚の写真が下図です。
―筆に墨を付けて、半紙の上を筆が移動すれば、白い紙に幅のある黒い線ができます、これは誰がどの様に筆を移動しても同じような線になる、、、と考えられがちです!!!しかし、「筆意」ある書の墨線はこれとは違うのです!!!―
 
下図、左下にいくつか、上から下に向かって墨線を「引く」という「筆意」を表現しました!!!分かりやすい線表現です、上から下に引かれた「線」の左右をよく見てください!!!変化のある側(ライン)と変化のない側(ライン)の表現です!!!
 ただ、上からもっともらしく、下に向かって筆を移動したところで、、、このような変化、ラインは、表現出来ないのですよ!!!これが、「左右のちがい、左右の変化」として、「筆を引く」、ということの表現の基本なのです!!!

書を書かれている方々で、上から下に向かって引く線が、縦劃だ!!!などと平気で表現している方々がいます、しかも「左右の意識」、「筆意」を全く感じさせることもなく、ただ移動して縦劃だ!!!などという変化の意識のない毛筆の表現をよく見ます、、、理解ができないのですかね、光明皇后の臨書である「樂毅論の縦劃」を、、、「筆を引く」という単調さの中に「筆意」を読むという、、、古典なき筆意は空虚であり、、、との、立体象書研究会講習会でした、、、
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 昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
 ―芸術の本質について― p.184つづき、
、、、芸術教育は本質的に不可能であるということ、を必ずしも意味しない。芸術が、たんなる自然現象ではないということ、また、ある種の偶然的ででたらめな恣意的活動ではないということを誰しも知っている。芸術は、一つの意識的作用であり、あらかじめさだかには意識しがたいが、ともかくも一つの基準が潜んでいて、それに基づきながら、あれでもないこれでもないという厳しい探求が続けられる必然的な活動である。ただ、この規準を、一定の色と形として、あらかじめ指定することができないという意味において、芸術には客観的な基準がありえないというのである。


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