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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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ケチなことをいうのも日本人だけの習性ということも今度わかった。

―魚―
下図、
「愙齋集古録」 ・ 第十冊 ・ 二 ・ 涵芬樓影印
   
‐ [伯魚敦] ‐ 器、
拓図版右に、
伯魚敦(たい)・器と、隷書四文字がある。蓋と同じ「伯魚作寳尊彝」の六文字だが、「魚」字の口の形もちがっている。左頁考釈に回文「呉大澂印」が押されている。

・・・ごだいちょう[
呉・大澂] (清・道光一五~光緒二八 1835~1902) 
 呉県の人、字は清卿、
愙齋また恒軒・頌軒・十六金符齋・鄭龕・二田居士・白雲山樵・白雲病叟などと号した。同治七年(1868)の進士、副都御史・湖南巡撫を歴任、かつて露国との境界を巡視し、銅柱を樹て、大篆書で銘を勒したことがある。日清戦争起るや、自ら請うて師を督し、光緒二0年(1894)冬、大いに山海関に戦ったが、たちまち奔潰して職を革(あらた)められ、野に下って龍門書院の主講となった。書画・篆刻をよくし、六書を精研、最も金石に長じ、鑑識にに精しく、収蔵に富んだ。清朝末期金石学界の大立者である。、、、中国書道辞典 中西慶爾 木耳社p.333・・・


昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―書をさしはさんでの東西の交流― (ヨーロッパ旅行の一コマ)
p.283、昨日のつづき
、、、日本人が口に出すときは、まとをはずして裏側からのぞいてみて何とかかとかケチをつけたりするが、ケチなことをいうのも日本人だけの習性ということも今度わかった。日本の内だけでものを考え、あるいは結論を出すという時代はもう過ぎているから、たとえ狭い世界で誰がどういおうが、広い世界で生きることをやった方がよい。遅かれ早かれみんなそうなるんだ。少しでも先にいけば先覚者であるわけだ。
・・・という (1956年・井島勉氏)、 ・・・日本人だけの習性・・・

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