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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、又實用書と書家の書とは、全く別物のやうに思つてゐたに相違ない、、、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
下図、近代書道開拓者 比田井天来・小琴 佐久教育会編 昭和四十三年発行、
比田井天来(67歳)の絶筆とある、落款に天来老人とある部分を写す、

昭和十三年發行 天來翁書話
實用書及び藝術書の學習法漫談
(六)賞鑑書の向上と鑑識眼の發逹
、、、.360.361
 、、、學力のある敎員に限つて、自分の家ではその敎科書などは、なるだけ目につかない處へ抛り込んで置くやうな人が多かつた。それはその當時に於ける一般の氣風であつた。當時に於ける文部省でも、書家の書の上手位のことは、知つてゐたに相違ないが、又一面から考へてみると、書家の手本を用ふることになると、勢ひその執筆法やその用筆を用ひなければならないやうに思つて居り、又實用書と書家の書とは、全く別物のやうに思つてゐたに相違ない。又書家の方では文部省のやうな書道の諒解のない處の手本をかくには、素人の意見に從はねばならぬ、そんな面倒のことは御免を蒙るという風であつたから、藝術書道の方面は異常の發逹をなしたにも拘らず、實用書は昔通りで、一向進歩しなかつたのである。然るに近年はこれ等の人が目醒めて來て、習字科敎員の中に眞劍に研究する者の多くなつて來たのは、眞に喜ぶべき現象である、、、(昭和七年)、つづく
p.357に、今から考へると楊守敬の來朝により、碑帖の研究が追々盛になり、執筆法及用筆等迄大なる變化を來した、、、その時代に、又一方では、、、何れもその技倆は淺薄のものであつた、とある、、、現在でも、技量の浅薄な者ほど執筆法用筆等々に固執し変化を考えない、研究をしない、しかし彼等は多くを語る、、、

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