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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

、、、「学問に方法論などというものはない。情熱をもってやればおのずから学問になるのだ」、、、

下図、-p.3 雲岡石窟全景 ......中央に第20洞の露天大仏.....- 部分、
「小川晴暘 雲岡の石窟」-昭和53年発行-発行者 佐藤亮一-新潮社-
-函、略歴-1918 文展洋画部に「雪どけの頃」が入選。絵と写真の特技を買われて朝日新聞社に入社。山内義雄らに誘われて大和古寺を巡礼、古美術への目を開く。大阪への転勤を機に奈良に住み、仏像の撮影を始める。会津八一博士の指導をうける。
・・・2002年2月-大同-北魏の遺蹟-雲崗石窟、縣空寺の吹雪、・・・

p.326、 ‐ 芸術学専攻科設置と見学旅行 ‐
、、、
昭和十三年になって、早稲田大学文学部に芸術学専攻科が設置され、その主任教授となった。道人の『東洋美術概説』、『東洋美術史講義』などが、その中から生まれた。一般に道人の短歌は、美術史研究の背景から余滴として生まれたようにおもっている人が多いが、学問や研究は、じつは短歌や芸術が凝って考証の方向へ向かっていったのである。「学問に方法論などというものはない。情熱をもってやればおのずから学問になるのだ」と言っていた。その根底に詩魂が燃えていたので、一見無味乾燥におもわれる美術史の考証も精彩を帯びている。、、、
 ‐  「秋艸道人會津八一の生涯」‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 恒文社 

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