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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、これにいかに個性を与え芸術性を与えるかが、道人の書の中心点であったからである、、、

下図、・・・弘法大師(風信帖)の筆意を自らの手で摑み出す・・・
‐2013年‐第65回毎日書道展‐審査会員‐
国立新美術館(東京 六本木)にて、作品左側面から写す、
・・・可比丹(北川修久)作‐立体象書作品「望のぞみ」・・・
・・・芸術的感覚、書の根本問題、歴史的意義・・・
 
p.261.262、 ‐書境の開拓‐
、、、すでに述べたように、門札の字でさえ、道人であると一見して判るものであった。龜高文子が父の渡邊豐州の墓石を書いたとき、親戚一同は、道人の字であると思ったほど文子の字が道人の書風に似ていたという。北川蝠亭、錢瘦鐵の字も道人に似たという。門下には、右肩上がりのくねり書体の人々が多いのも道人の影響といってよい。よく口癖に「誰誰の書は大分わしに似てきた」といった。それは一体どの程度のものか、ここで論ずることはできないが、そういう吸引力をもつ自己の個性の強さに一種の満足感を感じたらしい。この強い個性と能力を、書の根本問題にひきすえようとしたのが前述の構成要素の問題である。なぜなら、活字や篆書にあらわれている線の基本問題は、もっとも非個性的なもの、非芸術的なものであり、これにいかに個性を与え芸術性を与えるかが、道人の書の中心点であったからである。たんに自己の個性の特質を発揮することだけであるならば、やはり奇矯の字、特異の書となったかもしれぬが、歴史的な意義は生まれなかったであろう
、、、 ‐ 「秋艸道人會津八一の生涯」‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄・発行所 恒文社
-「墨線」を-できないことではあるけれども切ればその断面は丸い、という道人-

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