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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、仏像を詠むことは、仏像を刻むことと同じ位むつかしい、、、

― 魚 ―
下図、p.97‐ 小魚・魚(メキシコ)「原始文様図鑑」昭和46年初版‐ 編者  岡登貞治‐東京堂出版‐
・・・p.343‐荘子‐中国古典名言事典 諸橋轍次‐ 毛嬙(もうしょう)・麗姫(りき)は人の美とする所(ところ)なれども、魚(うお)は之(こ)れを見て深く入る。、、、古代美人の毛嬙(もうしょうや、晋(しん)の献公(けんこう)夫人の麗姫(りき)は人間界ではこれを美しいといっているが、これら美人も、その顔を水面に見せると、およぎ浮かんでいた魚たちは恐ろしいとして水底にもぐってしまう。 宇宙間には絶対の美醜善悪などはない。「沈魚落雁(ちんぎょらくがん)」の出所。・・・とある

p.51、Ⅱ 短歌作品とその変遷 鹿鳴集の世界 南京新唱
、、、元来、仏教芸術は、写生や描写から生まれたものではなく、一つの宗教的想念から生まれたものである。仏像を詠むことは、仏像を刻むことと同じ位むつかしい。仏教彫刻は、現実にあり得ぬ宗教性の想念を表現する。
、、、
 ‐ 「會津八一とその芸術」‐ 昭和52年6月 30日 3版発行・著者 植田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 早稲田大学出版部 

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