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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、呉昌碩は石鼓文を生涯臨書し、そこから筆意を得たといわれる、、、

下図、立体象書作品・「心」字
‐金文‐散氏盤(さんしばん)‐西周(前878~828)‐
‐道人はいう、「書線」とは-切ればその断面は丸い
‐p.1014‐中国書道辞典‐「臨書」、書の古典を学ぶこと。これには形臨と意臨の別があるが、これを適宜に交用して、鑑賞の深化を図り、技術を習得し、書作の原理方法を感得し、もって創作活動への自己の成長をはかるのである、、、
・・・呉昌碩は石鼓文の筆意を得た、、、その筆意の解明がなされていない、、、書線の断面は丸くなければならないという道人の臨書方法とその書作、、、‐方法なき書作は盲目である‐と加えておこう・・・

p.260、 ‐書境の開拓‐
、、、清代の中国の書家、文人、たとえば、金冬心、鄭板橋、董其昌、何子貞、呉昌碩などいずれも周秦への金石文に傾倒し、古い篆文をいかに自家薬籠のものにするかに力を注いでいる。呉昌碩は石鼓文を生涯臨書し、そこから筆意を得たといわれる。秋艸堂門下の山田正平は
昌碩のもとに赴いて印を学んでいた。道人は昌碩門下の徐星周の印を好み、来日した錢瘦鐵とは芸術の友として交際が厚い。亡命した甲骨文のすぐれた学者羅振玉とは、しばしば文通していた。このように清末民初の中国の文人と交わり、中国の土こそ踏まなかったが、その芸術の気運には充分に触れていたのである、、、 ‐ 「秋艸道人會津八一の生涯」‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄・発行所 恒文社

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