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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、空間芸術と呼ばれるものも、何らかの仕方において時間と関聯しなければ、、

立体象書研究会会員「書」作品、第32回 安芸全国書展(6/8~8/17)、
立体象書研究会会員出品者の作品鑑賞(7/13)・会場作品から、
・國吉成世さん、作品「野」、

*......昨日「妙」をとりあげ、無から有を生じるという、書の「空間性」を記した。
この淡墨作品「野」について、‐p.195‐書経‐中国古 典名言事典‐諸橋轍次‐講談社、、、野(や)に遺賢(いけん)なし。-朝廷に仕えない、いわば隠れている賢者もすべて登用する。(舜のことば)、また、<舜曰、....>嘉言罔攸伏。-良いことばがあれば、そのことばが隠れて現れずにいることのないようにすることだ。つまり、良いことばであれば、それがだれのものでもただちに取りあげるべきである(舜のことば)、、、つまり、良い作は良いとして取り上げなければならない、他の作品に見られない創意がこの作にある、、、書を見る、ものを見る、目に映(うつ)らないところのものを見る明(めい)が必要だ、これが見識(けんしき)だ、..........

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21 ― 諸芸術における空間性について 井島勉 ― 
 p.2、、、空間芸術といふ言葉がある。空間を場所として成立する芸術の意である。絵畫・彫塑・建築・工芸・書などがこれに屬し、舞踏や演劇・映画なども、或る程度はこれに関係してゐる。いふまでもなく、「空間」芸術は「時間」芸術に対立する。音楽や文芸は時間芸術であり、舞踏や演劇も、主として時間芸術的である。時間と空間とは、世界や人間や自然が存在するための、最も根源的な形式である。それらは、時間・空間的に存在することを除いて、存在できないのである。また時には、時間は意識の形式、空間は存在(自然)の形式ともいはれる。従つて、芸術の制作も鑑賞も、一つの意識的活動にほかならないから、空間芸術と呼ばれるものも、何らかの仕方において時間と関聯しなければならない。、、、つづく


......背景・余白・独自の遠近法の意味をわきまへなければ、芸術としての書は、到底生まれないであろう、、、昭和28年の井島勉氏、......


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