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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、絵画が空間を描写することは、如何なる事柄であるか、、、

立体象書研究会会員「書」作品、第32回 安芸全国書展(6/8~8/17)、
立体象書研究会会員出品者の作品鑑賞(7/13)・会場作品から、
―濱口渓水さん、作品「開」、―

*......昨日「能」をとりあげ、、、「能よく」書を見る、ものを見る、目に映(うつ)らないところのものを見る明(めい)が必要だ、これが見識(けん しき) だ、と記した..........
 今日の渓水さんの草書淡墨作品「開」、、、同一の紙面の上に重なりをみせる淡墨の書線は、視覚を平面から立体化を可能にしている、、、作品として選んだ「開」字、これを見てみよう、、、p.711‐大漢和辞典‐巻十一‐諸橋轍次‐大修館書店に、【開】カイーひらく。ひらける。—㋾ほがらか。のびのびする。〔晉書、胡奮傳〕奮性開朗。㋻花がさく。〔梁簡文帝、侍遊新亭應令詩〕桃花含雨開。〔李嶠、詠菊詩〕金精九日開、、、とある、

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21 ― 諸芸術における空間性について 井島勉 ― 
 p.2、、、 ところが、絵画が空間を描写することは、如何なる事柄であるか。描写するとは、描写の対象が画面の上に場所を移動することではない。画面は、奥行のない、平面と称する空間である。奥行のある立体が、奥行のない平面の上に画かれるのである。このやうな空間の転位を可能ならしめるものは、人間の視覚にほかならない。一定の距離をさし挟んで、奥行の関係において存在する家と木と山とは、その前に立つてこれを見る人間の肉眼にとつては、同一の平面の上に重なりあいながら、しかも前景、後景の関係を産出することによつて、立體の平面化を可能ならしめるのである。画面上の細部としての家と山とは、単に同一平面上に並存する二つの細部に過ぎぬものではなくて前景・後景といふ奥行の關聯を内に含んだ細部である、、、つづく


......背景・余白・独自の遠近法の意味をわきまへなければ、芸術としての書は、到底生まれないであろう、、、昭和28年の井島勉氏、......


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