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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

、、固定視され、新しい芸術的発展を束縛する枠の如きはたらきを営んで来ると、、

下図、たいざんきょうせきよくこんごうきょう「泰山経石峪金剛経」、「蘭」字の「拓」、、、しばしば改剜(かいわん)されたと思われるが、懐ひろく、紆余寛綽、意を経ざるが如くにしてしかも淵穆渾厚の趣に富み、雄渾壮大、書法の堂々たるは、他に多くの例を見ぬところである、、、p.642.643‐中国書道辞典 中西慶爾 木耳社‐より、
ー岩肌の凹凸から「蘭」という書を、なんとか摑み出そうとしている拓本ですー

1952年の現在、第十八號 墨美 ‐p.2‐より、
―諸芸術の独立と限界について 井島勉―
 昨日のつづき、、、この二つの事態は現に到達してゐる結果についていへば、いろいろと批判の余地もあろうが、その動因自体としては、あながちに非難さるべきものではない。却つて、芸術史的に必然的な宿命であるともいへるのである。といふのは、日本の伝統的な芸術がややもすれば定型化して沈滞しがちで、十分なる近代化を果し得なかつたのみならず、芸術本来の創造精神も涸渇に瀕して、芸術的眞価が萎縮してゐたことは否定できない。伝統それ自体は、芸術の歷史的発展のうちにおのづから形成されて行くものでもあり、またこの発展に向つて重大な役割を演じるものでもあるが、しかしそれが固定視され、新しい芸術的発展を束縛する枠の如きはたらきを営んで来ると、活溌な芸術的発展を甚だしく阻碍することとなる。心ある芸術家たちの自覚が、この枠に対する叛逆を通じて、局面の打開を図らうとし始めることも、当然の成り行きといふほかはない。、、、とある、つづく

......芸術は常に新しい創造であるべきなのだから、、、昭和27年の井島勉氏......

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