下図、小野道風・玉泉帖臨書「到」字の上に、その「到」字の筆意を拡大した立体象書を置く!

昨日のつづき、、、
「書の美学と書教育」昭和三十一年 初版 著者 井島 勉 ・墨美社
評価をめぐる一つの問題、、、p.229、230
、、、以上のような事情によって、ひとり、この学校の場合のみならず、全国のいたるところで、正しい芸能科教育の遂行の、惰性的な社会の抵抗を免れない場合が少なくないことであろう。図画教育の方面は、心ある画家たちの積極的な仕事に掩護されて、比較的勇敢に進捗しているが、書教育の方面は、書家たち消極性が、むしろおもりの役目を演じて、遅々として進まぬというのが、実情ではないかと思う。社会的評価の因習を排して、正しい教育的評価を推進すること、根本的には、正しい書芸觀を確立して、書教育の基盤たらしめることが強く要望せられるゆえんである。少なくとも、ふるい時代の芸術教育によって育て上げられたふるい日本人が、歴史の上にいかなる誤謬を犯したかをおもえば、新らしい時代の日本人を育てるための芸術教育に対して、ふるい評価の規準をもち出してよい道理はないはずである。、、、とあり、これは次の文を起点としたものなのである、、、
-この問題は、書というもの、更に書教育というものを、いかなるものとして把握するかということに依存して、その方法が決定せられる。この基礎理念を欠いて、単独に評価の問題をあげつらうことは、意味をなさない-、、、と、はじまる
書というもの、書教育というもの、五十年たった今日!その意味をなしているのでしょうか?
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