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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

いま摑み出した本当の臨書

下図、空海、風信帖「遍」字を摑み出す!作品の下(黑石)に映る作品と、もう一つの影の「遍」字、
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 昨日のつづき、
昭和三十一年「書の美学と書教育」井島 勉、、、評価の問題、P.224,225,226に、
 
、、、こどもの作品といえども、その正しい評価の方法は、これ以外にはない。人びとは、ややもすれば基準の名において、一定不変の客観的な尺度のようなものを期待する。その結果、手本の書風や自分の好み、ときには、大家と目された作家や流行の書体を、犯すべからざる基準と心得て、これを、こどもの作品に一々押し当てながら、評価を強行しようとする。けれども、このことは、芸術そのものの本性にもとる評価の態度といわねばならぬ。、、、けれども、常に生成発展する個人の創造活動を見失っては、芸能科の教育は、まったくその意義を失うのである。
 作品は、一つの造形的な形態ををもっている。しかしそれは、一挙に形づくられた結晶でもなければ、一定の客観的規準に基づいて、機械的に構築された図式でもない。一人の人間が、自己の生命に訴えて探求し、探求するにつれて、しだいに見いだされてゆく全過程が、そこに表現されているのである。正しい評価は、このような作品の構造に忠実であらねばならぬ。
、、、手本に似せて書く技術の習得を目標と考える書教育の立場ならば、問題は簡単である。手本を規準とし、それと作品との距離をもって評価すれば足りるからである。そこでは、よき教育者の資格も必要なければ、造形作品をその根源に還して把捉する美的感覚も必要でない。しかし、これは誤った書芸観なのである。心ある書教育者は、勇気と見識をもって、かかる段階から脱皮への努力を開始している。そこには多くの困難が伏在しており、殊に評価ということになると、またしても元の誤謬に顛(てん)落する危険があるようである。私は誤った評価を強行するくらいなら、むしろ評価を全廃する方が、安全であるとさえ思っている。しかし、それはいかに困難であるとはいえ、決して不可能というわけではないのである。、、、とある。

手本に似せて書く技術の習得を目標、、、昭和三十一年!平成二十五年の今も!???

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