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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

この失っていたものを回復するのだ。

二玄社・中国法書選41・唐 顔真卿・祭姪文稿‐p.4、一行に「人心、、、」と書かれている。この「心」字の表現は、「人」字の終筆からの流れを受け止めて、「心」字の始筆が始る、、、そしてこのリズムは、上に書かれた「人」字を意識して表現がなされ、、、「心」字の終筆は、下に表現する「方」字の一劃に流れを伝えようとする、、、この流れを、「心」字の筆意を、金色で三次元に表現した「象(かたち)」を置く、
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昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―芸術と人生―p.190.191、7/20のつづき、
 人生とは、人間が生きていくことである。しかし、みずから生きているよりも、生かされているにすぎぬのが常である。製材工場のおがくずのように、回転している鋸(のこぎり)にはねとばされているにすぎないにもかかわらず、みずから回転しているかのごとく錯覚している。そこには、生きている人間の自覚、本来自由であり、また自由であるべき人間の自覚はない。複雑な、そして激しい日常生活に埋もれて、無意識のうちに、本来の自己を失っているのである。ところが、人間は、真の芸術的活動の中に、この失っていたものを回復するのだ。忘れ去っていた、奪われていた、自由なる生の自覚を取りもどすのである。芸術をつくり美を見ることは、たんに目や耳を悦ばせ、色や音をもてあそぶことではない。かえって、生そのものを自覚することにはほかならない。なるほど芸術にたずさわるためには、しばらく現実生活の手を休めねばならないであろう。しかし、そのときかえって、彼は、本来の自己自身にかえることができるのである。
 芸術は人生ではない。しかし芸術は、人生の深い秘密に触れるのである。、、、と(1956年の井島勉)氏は、いっている、


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