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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

すべて芸術的活動は、

、、、五十になって、変転つねなき人の世のさまをよく眺(なが)めてから読めば、さらにまた別趣(べっしゅ)の趣(おもむ)きがある。だから良書はすべて二度読めば、得るところもあるし、楽しみもまた新たになる。、、、と、ある(林語堂1895~1976・人生をいかに生きるか、p.225)。
 得るところもあるし、楽しみもまた新たになる。の、また新たになる!!!の、新たになる、もの!!!下図を、観た、、、第31回 安芸全国書展、別府止母さんの作品、‐「車軌」‐
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昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
昨日からのつづき、―芸術と人生―p.189、
 知識にもせよ、行為にもせよ、それらによって組立てられている現実生活は、常に一定の拘束の下においてでなければ、営なまれることはできない。このような拘束が意識されると、換言すれば、生きている人間の免れがたい不自由が自覚されると、彼は哀しみ苦しむのである。
 ところが、これに反して、真の芸術の基準は、前回に述べたように、自己以外の場所に見いだされるものではなかった。創作であれ鑑賞であれ、すべて芸術的活動は、自分が生きているという端的な意識(生の自覚)を規準とし内容としながら営なまれるものであった。この意識は、知識や行為の場合のように、外部的な拘束の下に行われるのではなくて、まったく主体的な自覚として見いだされるものであり、また、人間がただ生きているというそのことにおいては、何人も平等であり自由なのであるから、芸術的活動は、何ものにも拘束されない、自由なる自己の生の表現ということになる。不自由の意識を、哀しみや苦しみとよぶならば、自由の意識は、欣(よろこ)びや愉(たの)しみとよばれてもよいであろう。、、、と、(1956年の井島勉)氏はいう、、、つづく、

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