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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

われわれは発見しなければならない。

林語堂(1895-1976)・「人生をいかに生きるか」―いかに書を読むべきか―、p.226に、
 好きな作家の発見は、自分の知的発展途上のもっとも深刻な出来事だと私は思う。こういう際には魂の親和というようなものが現われる。だから(古今ここん)の作家のうちで、その魂が自分の魂と近い人をわれわれは発見しなければならない。かくしてこそ真に善いものがえられるのである。
 (私淑ししゅく)すべき師をさがすのには、人にたよらず、自己の力にたよらなければならない。誰に(傾倒けいとう)できるかは、他人の知るところではない。おそらく、自分自身にもわからないであろう。いわば(一目惚ひとめぼ)れのようなものであって、誰それを愛せよと(他人ひと)からいわれる(筋すじ)のものではなく、一種の本能の力でわかるのである。、、、真に善いものがえられる、、、本能の力でわかる、、、と、いう林語堂がいた。
下図、第31回 安芸全国書展(6/9-8/18)、國吉成世さんの作品‐「斷」‐を観る、
「斷」字について、大漢和辞典巻五、「斷」23611、47-「斷金伐木契 ダンキンバツボクノチギリ」朋友の交の親密で且つ美しいのをいふ。、、、231-「斷而敢行鬼神避之 ダンジテカンカウスレバキシンモコレヲサク」事は決斷を貴ぶもので、たとへ多少の障害があっても、之を斷行する時は鬼神も路を避けて人の意志の如くならしめるをいふ。{史記、李斯傅}、、、と、大漢和辞典にある「斷」字、われわれは発見しなければならない、自分の魂、本能の力、魂の感動!!!
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昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
昨日からのつづき、―芸術と人生― p.189.190、
 芸術のもたらす欣びとは、このような性格のものである。その意味では、人生の厳しさに対して芸術の愉しさを指摘することも不可能ではなかろう。しかしそれは、欲望の充足によって生じる快楽というものとは、本質的に種類のちがったものである。現実の厳しさをしばし忘れての快楽ではなく、厳しさの中に深く根を下した愉しさ、厳しい人生のさなかをしかも生き抜いている自由の愉しさである。だからそれは、感覚の感動ではなく、むしろ魂の感動である。
(1956年の井島勉)氏はいう、、、つづく、、、


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