「拓本の種類} かくてでき上がったものに、烏金拓・蝉翼拓・隔麻拓の別がある。また拓取し終ったそのままの一枚ものを全套本といい、細かく切り貼りして帖に仕立てたものを剪装本という。なお拓本は古いものほどよしとされ、唐拓本宋拓本はことのほか珍重される。原石は年月とともに損傷するので、旧拓ほどその真を伝えるからである。、、、とある(中国書道辞典・中西慶爾)
下の拓、十年前?のカンボジア旅行で、、、拓の凹凸!2次元?ではない!、、、
昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―芸術の本質について― p.186、昨日のつづき、、、
人間は、常に自分の生命を生きるほかはない。しかも刻々に新しく生き続けて、かたときも停滞することがない。自分の生命を外に見いだすことができないけれども、内にたずねて自分が生きていることを意識することはできる。生きるということは、人間が、何ものかをになっていることではなく、むしろ何ものかであることにすぎない。だから、主体的に自覚できても、客観的に意識することはできぬはずである。そこに芸術の規準が根ざすものであるから、芸術には客観的な基準がありえないことになる。しかし芸術にも、生の自覚を内容とする主体的な規準の存することは否定できない。芸術は、何の規準もない偶然的な生成作用ではなく、あくまでも、一定の規準に基づく必然的な形成作用である。ただその基準が、客観的なものではなくて、主体的たるにすぎぬだけである。生命感情とか、生きていることの自覚とかよべるものが、芸術の基準の実質なのであるから、かかる規準に基づいて制作される芸術作品は、常に独創的であり、個性的であり、歴史的である。、、、という、(1956年の井島勉)がいた、、、つづく、
Copyright (C) 2009-2013 立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください