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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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芸術の制作とは

第31回 安芸全国書展(6/9~8/18)、、、
、、、研究会で「書の芸術性とは」、「書の古典とは」、「書の造形とは」、といった研究(3次元の書)をしているものですから、作品鑑賞においても「筆意」が、書を書いているということが、そのままに見えてしまうものなのですね、、、ほんとうに書作における、筆意ということが、2次元と3次元が、、、書いているということが歴然としていなければ「書」にはならないだろうし、また書は観られているもの、だから、書を書くということは大変なことなのですよ、、、たしかに、「書とは面白いものなのです!」、、、
 執筆ということ、書き方ということ、従来の「お習字塾」ということ、以前にかいた習気ということ、、、
昨日の日記、、、ただ自分自身の仕事であるべきである、、、というこのことばは、学問であれ、芸術であれ探求という仕事は同じものなのですね、、、
甲藤方外さんの作品、‐「戯」‐のリズム、バランス、三次元(筆意)を観てみよう!!!
D710.JPG
昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―芸術の本質について― p.185.186、 6/22のつづき、、、
、、、論理的な立場を超えた直接的作用に帰したりする。
 ところが、このような規準の正体は何であるか。他人から与えられることはできず、外に見いだすこともできない、みずからがみずからの内に刻々と見出してゆくほかもないもの、それは正当に生命の名をもってよばれるに値する。だから、かかる基準に基づいて成立する芸術意識は、いわば生命感情であり、生きていることの自覚である。但し、眼を閉じて内に生命を思念するのではなく、眼を見開いてある色と形を見ながら、自己の生きていることを自覚するのである。芸術の制作とは、それを見るときに、もっとも純粋に自己が生きていることを意識できるような色と形を、形づくることにほかならない。そして、眼に見えるもの(色と形)を見ながら自己の生を自覚することが、美の成立にほかならないゆえに、芸術的意識は美的意識でもあるのである。 、、、つづく(1956年) 井島勉、

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