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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

書的な線―象―

下図、大系世界の美術 第20巻‐現代美術‐1981年 第5刷発行・学習研究社
左、カンディンスキー コンポジション 1931年 セリグラフ
右、クレー 一日間の音楽 1940年 セリグラフ(鎌倉 神奈川県立近代美術館)
右下、比田井天来伝(昭和六十二年三月十日初版発行 著者・中西慶爾 木耳社)の2冊
DSC00845.JPG
上図、比田井天来伝 138頁―象から墨象へ―に、
上田桑鳩のむかし話が「信濃教育」にある(九一一号)。として、
「たぶん昭和11年ごろのことと思うが、代々木山谷にあった書学院で、鮫島看山、大沢雅休とわたし(あるいは手島右卿もいたかもしれない)とが昼食をいただき、先生から書談を承っていたとき、われわれから線の問題をもちだし、ガンジンスキーの絵画などを語ったところ、先生は書の線の筆意のことから、先生が大正年間に鎌倉に住まわれていた時代、文字によらずして、書的な線によって新しい芸術を考え出しこれを「象」と名づけ、一、二年試みたことがあると語られた。、、、先生は試作をしてみたが、思わしいものができなかったし、めんどうでもあったので中止したといわれたが、今それが残っていたら、はたしてどのようなものであろうか。興味深いことである。」、、、とある

昭和11年ごろの日本、、、線を問題としてとりあげたカンディンスキーの絵画、、、大正年間に「象」と名付け、試みたという天来の新らしい芸術、、、大正・昭和初期のこれらのことがら、、、

すくなくとも、いま現在を思う今よりも新しさを感じてしまうということが、、、考えるべき、いまの問題であろう。―

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