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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

殷の圖象文字、書の美学と書教育

昭和二十九年出版・平凡社(書道全集 第一巻 中國 殷・周 蓁)、 p.3、図象文字 「兩馬天牲形父丁彛」・ニューヨーク ・戴潤齋・拓本・原寸とある。やや縮小になった下図の拓、、、岡本太郎の文をつづけよう、
、、、無意味と私はいった。しかしこれが象形文字である以上、意味があるにはちがいない。だがそれにしてもその意味は、われわれが常識で考えているような、平板で限定された、「文字」の意味とは全く別ものにちがいないと思う。でなければこのような不可解な形態が、無条件に魅力となって訴えかけてくるはずはない。という、、、動物を表した殷代金文(図象文字)、、、
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昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
 ―一般学校における芸術教育―
 幼稚園、小中高の学校のごとき、心理的に発達過程にある幼少年を対象として、円満にして片よらない人間完成をめざす学校教育における芸術教育である。ここでは、対象が完成された成人ではないし、特別に芸術家養成を目的とするわけでもないから、その本質が第二者から区別さるべきものであることは無論である。
 ところで、そこにあらかじめ心がけておかねばならぬ事柄は、芸術教育の問題は、必ず芸術そのものの独自性に根ざして解決されねばならぬということと、他教科との関連をひろく考慮しなければならぬということである。というのは、芸術教育といえども、教育の名において芸術が犯されたり、ゆがめられたりしては無意味とならざるをえない。芸術と教育の間には、かなり困難な矛盾的関係伏在しており、知育や体育のごとき一般的な教育方法を、そのまま芸術に向かって強行すれば、芸術は本来の意味を喪失してしまう危険があるからである。ところが他面では、芸術や芸術教育の独自性をまったく孤立的に取扱うと、一般的な学校教育の目標や体系が破壊されることとなる。人体は頭と胴と手足とによって成り立ってはいるが、しかしそれらのたんなる寄せ集めではなくて、一人の人間の生命によって統一されておらねばならず、手だけが不均衡に大きい人体は、むしろ不具であるに似ている。芸術教育と他教科との連関、学校教育の全般における芸術教育の位置づけは、是非とも考えておかねばならぬ問題である。、、、とある(1956年)、つづく、、、

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