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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

補足、第1回立体象書研究会展

第1回立体象書研究会展の補足ーいま摑み出した本当の臨書―
石門頌(148)屏風裏側、挨拶文、比田井天来・中西慶爾、菘翁コーナー
43.JPG
菘翁コーナー、明治十五年・鳩居堂発行「菘翁・赤壁賦」等々 、鄭審則・越州録跋は、菘翁臨書と、手島右卿臨書を並べた。
古典なき筆意は空虚であり、、、という立体象書研究会の考えからであった。

「法則側法」という天来、昭和十三年発行の天来翁書話p.42.43の、書學者の心得から、、、
 人間に不幸の人は澤山あるが趣味のない程不幸な人はあるまい。故に何人も趣味を要求して居る、中年まで趣味を有たない人が急に趣味を得やうとすると兎角迷を生じて何を趣味にしやうかと、甲を一ケ月乙を半年と云ふやうに種々の事に手を出すのは人情であるが、大きい魚は淺瀬には棲まない。早く趣味の出る者程旨味の少ない者か或は害になる者である、中年より種々のことに迷つた後に書を學んだ人の經驗によると書の趣味は面白味の出て來るのが一番遅い。其の代りに深くなればなる程趣味も深くなる、初の内は巧拙すら確實に解らず實に詰らない者であるが、二三年繼續して見ると到底止められなくなり、追々趣味の範圍が廣くなつて書道の内には有らゆる藝術の長所を盡く集めて居るやうに思はれると云ふことである。、、、多くは趣味の出るまで辛抱が出來ない爲に止める人が多いのである、、、p.45.46に、、、人によると老人になるまで書は結體だけの者だと心得て、書といふ者を餘りに淺く見て徹頭徹尾字形のみに捉はれて居る者がある。字形は肉體のやうなもので筆意は心靈である、形のみに捉はれて居ると肉體だけで心靈のない無意味の書になる之を俗書と云ふ。、、、相當の年配になりて書を學ぶものは、筆意を主として學ぶときは早く書道の趣味に到達することが出來る。、、、とある。

、、、昭和初期、この「書道学」樹立運動は天来の大功という、中西慶爾の比田井天来伝、表紙に「法則側法」とある。

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