「古典なき筆意は空虚であり、方法なき書作は盲目である」 下図、可比丹作品「羽衣」の一部
立体象書研究会は、書美を古典に求め、現在の造形表現を研究しています!
「書の美学と書教育」 井島 勉 著 ・墨美社 昭和三十一年十二月二十五日 初版
25 書を通じての日本文化の海外交流 p.152.153に、、、
、、、けれども、ともかくも東洋の書が、世界の芸術家の眼にさらされる時代がきた。多数の比類なき古名筆を擁しているわれわれだけの立場から見れば、書が一つの優れた芸術として世界に迎えられることには何の不思議さも感じないが、しかし当然のことがついに実現したということにも、それだけの感慨を禁ずることはできない。この感慨を抱きながら、現代日本の書壇の情勢をながめると、書が芸術として世界の公認を受けているという、きわめてあたりまえの事実に改めて注目してもらいたくなる。書壇人が十分の(ときにはうぬぼれに近い)自信をもって専心精進しておられる姿は、敬服のきわみであるが、しかし改めて世界が書に芸術を期待し、いきおい書家に芸術家であることを期待してきたという事実は、いくらかのおもはゆさを潜めた反省を、書壇人に促すのではないかと思うのである。書が果たしていかなる意味において芸術であるのか、現代の書家が従事している仕事が、果たしてどの程度に芸術というものなのか、そして現代の書家たちが、果たしてどの程度に自覚ある芸術家として生きているか、更に、西洋の絵画も彫刻も、考え方によれば、書よりも遥かに古い伝統をもっていながら、現代の画家や彫刻家が、やはり新らしい現代の絵画や彫刻を創造しているのに対して、古い伝統を誇る現代書家が、たんに古い現代作品を制作することだけで満足していないだろうか、等々。これらの事柄について、みずから反省の目を向けてみたりすることがあれば、それは、外に書を送り出すことによって逆に受けとるよき刺激である。、、、とある
上文の現代という、現代の書の芸術性は、昭和三十一年(1956年)の現代です!半世紀前の事柄なのです!
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