忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

=書といふものは面白いのであります=

書を語る 2 1988年3月25日 第3刷発行・二玄社

書の芸術性とはなにか   宗左近(詩人)より、

、、、文字のプラス・アルファは、宇宙感覚である。つまり、作者の個性と社会と時代という特殊を含みながらも、それを超えた普遍的な原初感覚である。絵のプラス・アルファは、その逆であって、普遍的な原初感覚を含みながらも、それを超えた作者の個性と社会と時代を集約した特殊な現在感覚である。
 もちろん、文字の犬と絵の犬との間に、それだけでよしあしなどありはしない。
 もともと文字の発生と絵の発生との間に、それほど大きな相違があったとは思えない。
 そしていずれもじつに長い間、方便(手段、または道具)としての性格と働きのほうを世のなかから強く要求されていた。日本でいえば、文字は、たとえば経文と法令を書きしるすための、西欧でいえば絵は、たとえばキリストの受難と王侯の武勲を描きしるすための媒体であった。
 だがやがて、近代。西欧では寺院と王宮から絵が独立した。つまり絵は、自己目的(芸術性)をもった市民の感情と思想を表現する媒体に転化した。それなら、日本では文字はどうなったか。やはり寺院と王宮から独立した、といってもよかった。すなわち、書家なるものがうまれた。筆で描かれた文字は、書とよばれて商品価値をもった。そこまでは西欧での絵に似た。ただし書という媒体は、市民の感情と思想を表現しえなかった。
 書の芸術性という問題は、ここからおこる。、、、つづく

Copyright (C) 2009-2012 立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください


拍手[4回]

PR