忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、故に古器一轉歩せば、以て道に至らむ。近古以來、陋器を以て創作となし常器を以て書家と稱す。難いかな書道(昭和四年)、、、

―魚― 
「三魚紋漆耳杯紋飾」・長21糎米・湖北江陵鳳凰山168号漢墓出土
 ‐漢代漆器圖案集‐李正光 編繪‐文物出版社‐
 ‐圖版目録、15‐
三魚紋漆耳杯紋飾...(45)‐
 下図「耳杯」、
‐p.1167‐広辞苑 第四版‐じ.はい【耳坏】‐楕円形の左右に耳のような把手のある坏(つき)形の食器。漆器・土器・玉器・ 青銅器などがある。中国の戦国時代から魏晋時代にある。‐

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」・昭和十三年發行 天來翁書話
 
.563、
 人の書性に一家書の摹仿に敏にして、取つて以て自家の書性となす者あり、之を常器と謂ふ。實用書に適す。古人の書を學ばずして妄りに奇癖に堕する者あり、之を陋器と謂ふ。自ら是として移る事を知らざる者なり。又碑帖の臨摹を善くして、而も一家を成すこと能はざる者あり、之を古器と謂ふ。鑑識に長ずれども、實用に適せず。以上を書性の三器と爲す。常器は遂に藝術書に非ず。陋器は邪道。固より論ずるの價値なし。獨り古器は道に及ばざること尺寸の間のみ、古形を脱して新意を出さば、創作家たるに於て何か有らむや。創作は陋器に似て而も非なる者なり。惜いかな法に入つて法を出ること能はず、以て世を終る者多し。道に忠なるに似て、實は道に忠なる所以に非ず。故に古器一轉歩せば、以て道に至らむ。近古以來、陋器を以て創作となし常器を以て書家と稱す。難いかな書道。(昭和四年)
・・・藝術「書」を綴る天来先生が居る・・・

拍手[5回]

PR